ピアノのレッスンをやめてからもう久しくなるというのに、ピアノを見るとつい鍵盤に手が行ってしまいます。わたしの住んでいるフランスでは、とても古いピアノが置いてあるのに出会うことがあります。家具の一部のようになって調律もされず、音程がかなり狂っていたりしますが、どことなく歴史の扉をたたくような味のある音がします。
一方、日本でピアノを続けていた姉は、定期的にサロン・コンサートやリサイタルを開くようになっていました。『有終のオルフェたち』というグループのもとに彼女と仲間たちが取り組んでいるのが「フランス六人組」です。姉はメシアン、サティなどのフランス音楽を弾いているうちに、ある時プーランクの曲に出合い、「六人組」に興味を持ち始めました。そしてすっかり魅せられてしまったのです。折りしも、通常のクラシック演奏会に疑問を抱き、聴衆と演奏家との距離を縮めた肩のこらないサロン・コンサートを仲間たちと模索している時期でした。各自個性の異なった「六人組」が、画家やコクトーや大勢の友人とともに和気あいあいとコンサートを開いていたことを知り、音楽好きの人々と一緒に楽しみながら音楽を作っていく会を姉たちも始めたのです。そして、あまり知られていない「フランス六人組」のさまざまな作品を紹介しながら、その音楽のまわりの文化である詩や映画の話をまじえた企画を続けています。ほとんど資料もなく、時には楽譜を見つけることさえ困難な「六人組」のレパートリーを探るうち、「軽い」と思われがちな「六人組」の音楽の底がじつは非常に深いものであることがわかってきました。音楽というジャンルを超えてその世界はどんどん広がり、『有終のオルフェたち』の仲間も増えていくようになりました。
そういうわけで、わたしは姉の音楽を通じて「六人組」に出会いました。フランスにいるのならデュレのこの楽譜を探せないだろうか、ちょっとこのコクトーの演説を訳してほしい…・何かにつけ「六人組」に関することを頼まれるようになったのです。すると、それまで気にとめていなかった「六人組」の音楽が、ラジオや映画音楽の中から鳴り始めました。音楽だけではなく、画家やコクトーの話の中に、映画・演劇の話題の中に、シャネルやピアフのエピソードの中に、「六人組」はしょっちゅう顔をのぞかせます。音楽家は世事にうとく閉鎖された世界にいると思っていたわたしにとって、これは新鮮な発見でした。そして、音楽や芸術の粋をこえて生きた「六人組」に、わたしもまた強くひきつけられていったのです。きくと音楽家の友だちの中には、つい最近まで活躍していたオーリックやタイユフェ-ルに会った人もいます。「六人組」はわたしの住む国の文化の中に生き続けているのです。
そんなある日、ユラール=ヴィルタール夫人著・フランス六人組の本にめぐりあいました。今まで「六人組」についてのこれほど充実した書物を目にしたことはなかったので、興奮して著者に手紙を書きました。すぐに届いた返事は、盲目のユラール=ヴィルタール夫人みずからタイプを打ったものでした。
この本は十年にわたる彼女の長い研究の成果をまとめた論文をもとに書かれています。フランスの音楽界では高い評価を受けることなく逸話的に語られてきた「六人組」の1920年代に脚光をあて、あまり知られていなかった作品を掘りおこし、ラジオ番組や文献にあたり、「六人組」のメンバーや友人たちとの対談を重ねた著者の仕事に、わたしは深い感銘を受けました。
著者は「六人組」を、二つの大戦の間の特別なパリの雰囲気の中で流れ星のように輝いた芸術活動の担い手として再評価しています。コクトー、ピカソ、アポリネールをはじめ画家たち、文学者たちの進めた芸術と美学の改革に、サティに続いて「六人組」も音楽の枠を越えて貢献したことを示し、今まで脇役しか与えられなかった「六人組」とその作品を生き生きと浮かび上がらせたのです。装飾的なベル・エポック風、ワーグナーに代表される至上主義、安易と空虚に流れつつある印象主義といった当時の風潮を批判して、より簡素でストレートなもの、古典に立ち返ると同時に、民衆の中に生き続けるユーモアと知恵に目を向け、日常性の中に芸術を息づかせようとした「六人組」は、自分たちの音楽と生き方をもって「エスプリ・ヌーヴォー」を実践したのです。それも排他的な芸術クラブを形成したのではなく、上機嫌と遊戯性の中で新しいフランス音楽の夜明けを告げようとした-----著者はこれをヤンケレヴィッチにならって「祭りの朝」の美学と呼んでいます。祭りの朝というどこか懐かしい言葉からは「六人組」と著者の音楽と芸術、そして人間への愛のメロディーが軽やかに響いてきます。
「六人組」の音楽と美学を再評価した著者の論文が本になるまでは、さらに十年以上の歳月が流れました。その間に「六人組」のメンバーも、著者の恩師ローラン=マニュエルもこの世から去っていきましたが、彼らの陽気な声と意気込みは、音楽とともにこの本の中で爽やかな風を立てています。
音楽の専門家でないわたしがこの本を訳そうという気になったのは、親しみやすい音楽をジャンルや慣習にとらわれずにめざした「六人組」に共鳴したからです。また、ひたすら聴くだけの音楽ではなく音を楽しむ機会を広げようとしている姉たちの試みに、わたしなりに参加しようという心意気でもありました。そして、点字の資料と耳からの記憶を積み重ねていった著者の仕事を伝え、祭りの朝のメロディーをより多くの人に聴いてもらいたいと願ったからです。最近フランスでも「六人組」の音楽が流れる機会が増えたようですが、彼らの作品には本当にいろいろな音楽があります。この多様性の尊重こそ、「六人組」の生粋の「フランスらしさ」だったのだとわたしは思うのです。
コクトー生誕百年、エッフェル搭百周年、春
飛幡祐規(たかはたゆうき)
*エヴリン・ユラール=ヴィルタール 1930年フランスルーアン生まれ。盲目のため少女時代は家庭教師に指示。のちルーアンとパリのコンセルヴァトワールに学ぶ。音楽美学研究家。
*飛幡祐規(たかはたゆうき) パリ大学で文化人類学(修士号)、タイ語を専攻。映画プロダクション勤務を経てフリー・ライターに。通訳、翻訳、各種撮影・取材などのコーディネートにも携わる。在パリ。ピアニスト神武夏子の実妹。
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